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朝まで生テレビの動画が有志によって掲載されています。
http://himado.in/80995
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この番組に、TVに出てるのに普段着らしきものを着て出演してる薬師院 仁志とかいう、どこかの大学のエライ人のやり取りがひどすぎてネット上で話題になっています。
この中でおもしろいパートの1つが、73分ごろから始まるおっさんと橋下市長とのやり取りです。
おっさん、大正時代の大阪の人口を橋下市長に問いかけて、機先を制して議論を自分のペースに持ち込もうとするのですが、橋下市長に即答されて撃沈。トーンダウンしちゃいます。
で、結局のところ「大阪は疲弊している」その「疲弊している大阪という都市を東京との競争に巻き込んだらダメだろう」という事を言いたいらしいんですがそれに対して「ではどうすればいいのですか?」と問い返されて「市長なんかやらず、国政に出ろ」と身も蓋もない事を言ってしまいます。
結局、現状維持派なんでしょうね。
改革の動きに対し、それに反対することしかできない人なんですね。
ということで、以下に、大正時代の大阪の人口を問いかけるパートをテキストに起こしたので、ご一読ください。
なおこのやり取りの直近に橋下市長の意気込みが強く感じられるパートがあるので、合わせてご覧になるといいかと思います。5分くらいで終わります。
68:00ごろから、大阪市と大阪府の縄張り争いについて言及。
さらに70:00ごろから、橋下市長が大阪の成長戦略について説明します。
こちらも数値目標を設定しての発言で凄い。
今頃反対派はこの数字を必死でメモって、達成出来なかった時に攻撃材料にするんだと思います。
それはそれとしていいのですが、その前に、大阪を復活させるためにみんなで力を合わせればいいのにと、思ってしまいます。
http://himado.in/80995
73:00から
おっさん 大阪の人口が一番多かったのはいつだったかご存知ですか?
橋下市長 これは大正時代です(即答)
おっさん そうですね(撃沈)
橋下市長 相対的にですよ。あの時は300万人。
おっさん 325万人
橋下市長 今は880万人ですから。
おっさん 大阪市ですよ。
橋下市長 だから東京と比べた時にですよ。
おっさん だからね、東洋のマンチェスターと言われて、大阪が一番人口が多かったのは1940年ですよ。そこから戦争を挟んで大阪の地盤沈下はそこから始まっているんですよ。
田原総一朗 なんでだろう?
おっさん なんでかはともかく(おっさん!!!)、戦争によって復興の時に全部東京に一極集中したんですよ。それが根っこにあるんですよ。だからわたしが政策論でいうんなら、大阪が競争力を強めるとかではこの問題は解決しなくて、もっと国家全体の姿を解決していかないとだめだというのが持論なんですよ。ただ、その時に大阪が都市間競争だって言い出すと、その時に東京は「よし競争だったら大阪にだけは負けないぞ」となるじゃないですか。だからいま弱っている大阪が、そんな競争戦略にでるのは間違いだと思うんです。
橋下市長 ではどういう戦略だったらいいんですか?
おっさん だからそれは橋下市長は、基礎自治体の市長として、我々の面倒を見る仕事を自覚していただいて、国をね、もしそれだったら初めから衆議院議員かなんかとしてそういう事を言うんだったら…
橋下市長 それは政治運動論としては成り立たないです。
おっさん 成り立たないですよね(おっさん!!!)。でもそれでもね、我々にとっては、それこそ地べたに張り付いてくれる市長が欲しいんですよ。
橋下市長 大阪市役所は基礎自治体ではないです。
おっさん 法律的には現にそうなんですよ。
橋下市長 だからそれを変えたいんですよ。
おっさん 変えるったって
橋下市長 住民と向き合う基礎自治体に変えないと、大阪市長というものは基礎自治体の長になっていないんです。知事と同じ仕事をしているんです。だからそれを変えていこうとしているんです。地べたを這うような住民の顔の見えるような、基礎自治体に作り変えようというのが大阪都構想なんです。
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